2024年7月26日に開幕したパリ2024オリンピックから、9月8日に閉幕したパラリンピックまで、両大会は約4万5千人のボランティアによって支えられました。
私たち日本財団ボランティアセンターでは、8月26日のパラリンピック開幕前から現地入りし、参与の二宮雅也先生が現地で活動するボランティアの方からお話を伺いました。パリオリンピック・パラリンピックで活躍したボランティアを3回に分けて紹介します。
第1回は、日本人ボランティアの方々のさまざまな想いに迫ります。
東京2020大会へのリベンジ、完全燃焼したいという思い
ほとんどの会場が無観客開催された東京2020大会。山田香代さんは東京2020大会での不完全燃焼がパリ2024大会参加のきっかけになったと話してくれました。
山田:東京2020大会では、コロナパンデミックの状況下で、家族からも「なんでボランティアやるの?」と言われるような状況の中で活動を行いました。無観客開催だったということもあって、活動内容としても、とても悔しい思いがありました。そうした不完全燃焼の経験が、もし有観客で通常の大会ボランティアに参加できたら、どんな経験や楽しむことができるのかという思いがどんどん高まってきました。
また、家族にもそうした環境で活動する姿をしっかりと見てもらいたいという思いもありました。ですから、今回のパリ2024大会へのボランティアというのは、東京2020大会へのリベンジという意味合いも個人的にはあります。
やはり、ボランティアにとって観客の有無というのは、大会全体の雰囲気を感じるだけでなく、具体的な活動対象という点でも欠かせないものです。そういった意味で、不完全燃焼に終わった東京2020大会でのボランティア経験を、完全なものにしたい、リベンジしたいという強い思いに強く共感しました。
ボランティアからボランティアへのバトンパス
一方、東京2020大会におけるボランティア活動が自分自身を変えるきっかけとなったと話してくれたのは、秋葉和男さん。パリ2024大会への経験の継承について、熱く語ってくれました。
秋葉:東京2020大会での活動の当初は、指示された活動内容のみを静かにやってたんですよ。でも周りの人たちは、私と違って話をしたり、相談しながら活動をしていたんですね。勇気を出して、ちょっとその輪に入っただけで、ガラッと全てが変わっていったんです。これはもったいない、もっと積極的にコミュニケーションをとらなければと思ったんです。
それからしばらくして、家族からも「お父さん変わったね」って言われました。
東京2020大会の活動を経て、ボランティアに目覚め、週末も朝早くからボランティア活動するようになったという秋葉さん。家族からも変化を指摘されるほどの変容だったそうです。その秋葉さんが、パリ2024大会の開催を前に思ったことは、「ボランティアとしてのバトンパス」をしなければならないということでした。
秋葉:東京2020大会のボランティアでは、飲み会も含めてボランティア同士の交流が何もできませんでした。大会が終わってコロナも落ち着いたところで、その時のボランティア仲間で定期的に集まるようになったんです。その中で、もし東京2020大会が開催されていなかったらどうだったのかなと思いました。そして、コロナ禍で大会をやりきった我々だからこそ渡せるバトンがあるのではないかと。
秋葉さんからの半ば使命感に溢れる言葉に、自発性を意味するボランティアの本質を感じました。それと同時に、東京2020大会ボランティアをきっかけに、ボランティア参加がライフスタイルの一部となったという変化に、ボランティアインパクトを感じました。
ボランティアのボランティア
次にご紹介する下崎道子さんにお会いしたのは、パリ2024大会で活動する日本人ボランティアがパリで開いた交流会(食事会)の開催直前でした。この交流会の幹事である下崎さんは、大学でフランス語を学んでいたこともあり、現地レストランとの調整役を引き受けたそうです。
パリに滞在しながら活動する日本人ボランティアにとって、このような現地での交流会は情報交換も含め貴重な時間になることは間違いありません。また、日本からボランティアに参加した方が、海外ボランティアの方との交換用に作成したオリジナルバッジのデザインにも関わったそうです。私もそのピンバッチをいただきました。
下崎:私はたまたまメーカーに勤めていたので、金型を含めて情報にアクセスしやすかったという背景はあります。AIとかを使いながらデザインも考えたのですが、最終的には知り合いのデザイナーにもボランティアで関わってもらって、「富士山から桜吹雪がエッフェル塔に向かっている」というコンセプトでデザインが決まりました。
仕事で培った経験を活かしつつ、ボランティア仲間のために行動する下崎さんは、まさにボランティアのボランティア。自身が滞在している家にもボランティア仲間を招待し、交流を楽しんでいました。
下崎:滞在している家にもボランティアの人たちに来てもらって、私が作った日本食を囲みながら交流して、みんなに気持ちよくボランティア活動に行ってもらいたいという気持ちがあります。
東京2020大会でボランティアに目覚めた下崎さん。それまでは仕事一辺倒だったというが、現在は仕事も一区切りついたそうで、自身のボランティア活動を楽しみつつ、仲間のためにもがんばりたいそうです。下崎さんの存在は、他の日本人ボランティアにとっても本当に頼りになる大きな存在であったと感じました。
フランス語という壁を超えて
そして、東京2020大会で移動サポートを勤めた三浦祐美子さんは、なんとパリ2024大会でも自ら移動サポートを希望し、みごとに採用されました。パリ市内での運転には不安もあったそうですが、マイペースでやっているとのことでした。
一緒に活動したメンバーはフランス人の方が多く、あまり英語は通じないようです。それでも、アジアから参加していることには興味を持ってくれているみたいで、いろいろな方とコミュニケーションを楽しんでいると話してくれました。そして、フランスに入る前から、フランス語のトレーニングを続けていたということです。
三浦:日本のボランティアの仲間でフランス語の勉強をしたいねって話になりました。だけど、個別に先生をお願いするとお金もかかってしまう。そこで、私の友人のフランス人のヴァイベルさんにお願いしたんです。固定メンバー7~8人で語学トレーニングを続けました。
以前、フランスに住んでいたことがある三浦さんは、友人のヴァイベルさんにボランティアでの語学講師をお願いして、この勉強会が実現したそうです。インタビュー時はヴァイベルさんも紹介してくれました。おそらく、パリ大会組織委員会の職員も知らないところで、さまざまな人が陰で協力し合うことでスキルを高め、オリンピック、パラリンピックのような大きな大会が運営されていることを改めて実感しました。
メンバーの優しさ
伊原理佳さんは、東京2020大会では組織委員会職員として関わられたそうです。特に、選手村で経験したさまざまな体験が、もう一度オリンピック、パラリンピックに関わりたいという意識の源になったそうです。
伊原 例えば、選手がピンバッチ交換をするにしても、ピンバッチをたくさん持っている国の選手と、いやいやうちの国はそんなに作れないんですよって選手もいました。国によって貧富の差があること、あるいは、国に帰れば紛争があるっていう選手もいるなかで、紛争のない平和な国の人たちは、また次のオリンピック・パラリンピックを目指そうと話をしていました。
伊原さんが経験した選手村でのリアリティが、さらに現場での関わりを深めたいという意識に繋がり、今回のパリ2024大会の応募に至ったそうです。
さらに、採用されるために、約2年間のフランス語のトレーニングも行い、DELF(デルフ・フランス語学力資格試験)も取得し、見事、今回のボランティア採用に至った経緯を話してくれました。ただ、実際の現場では、フランス人チームの中に日本人1人ということで、ネイティブ同士のコミュニケーションにくらいついていくのには、大変苦労されたそうです。
伊原 やはり言葉がわからないことが多く、メンバーの方には、本当に迷惑をかけたと思います。でも絶対に私をおいてきぼりにしないで、メンバーは私のことをしっかりとサポートしてくれました。最後はみんなで食事に行く約束もしているんです。
メンバーの思いやり、優しさ、そしてチームの素晴らしさをについて、少し涙を浮かべながらも笑顔で話してくれた伊原さん。その姿がとても印象的でした。
ボランティアならでは
先ほどご紹介した三浦さんのように、東京2020大会で移動サポートに携わったのは五十嵐弘直さん。そこでの経験が今回のパリ2024大会への応募のきっけになったと話してくれました。
五十嵐:当時、選手村から水泳会場のアクアティクスセンターまで送迎する活動があったのですが、予定よりも早くレースが終わり結構時間が余ってしまったんです。その方は、翌日帰国されるということもあり、東京の景色とか何も知らないで帰るのは可哀想だと思いました。それで、組織委員会の担当者に「夜景を見せてあげてもいいですか」と交渉をして、スカイツリーとか東京タワーを回るというルートに変えて選手村に戻ったんですね。
ご案内した方からは「You are The Best Driver」 とお褒めの言葉をいただいたそうで、そうした経験からボランティアの楽しさを感じるようになったそうです。
五十嵐:自分の気づきで何か行動することによって、相手に感動とか喜びを与えられるんだっていうことが、自分の中でも経験として残りました。
こうした経験から、パリでもできることは何かあるっというふうに感じるようになり、これまでやってきたことをそのまま風化させたくないとの思いから応募に至ったそうです。五十嵐さんのインタビューから、相手を楽しませる喜び、まさにスポーツボランティアの醍醐味だと改めて感じました。
ボランティアとして楽しみたいという想い
一方、鈴木陽子さんは、伊原さんのように東京2020大会では組織委職員として関わり、メディア対応(protcol)の仕事をされてたそうです。コロナ過での大会だったこともあり、外国から来られる要人のテンションと、それに過剰に反応するメディアとの間で板挟みになり、現場対応も含めて本当に苦労された話をしてくれました。
鈴木:東京2020大会では職員としての辛い経験もあったので、今度はボランティアで楽しみたいって思うようになりました。
まさに反動そのものが活動の動機となったと話す鈴木さん。今回の活動は、本当に心から楽しめましたと笑顔で語ってくれました。そして、実は今回のパリ2024大会が、鈴木さんにとっての人生初めてのボランティアだそうです。
鈴木:飛び込みのメダリストの通訳を担当しました。この競技では日本人選手として初めてのメダルだったみたいで、とても嬉しそうでした。記念に一緒に写真も撮ってもらいました。
ボランティアならではの楽しみをつかんだ鈴木さん。現在は海外に住んでいるということもあり、次回ロサンゼルス大会では再び職員として関わりたいそうです。鈴木さんからのお話しを聞いていて、色々な関わり方によって、オリンピック、パラリンピックの景色は変わるものなだと感じました。
9月8日にパラリンピックの閉会式を迎え、閉幕したパリ2024大会。日本からも多くのボランティアが参加し大会を支えました。次は、コルティナ(2026年冬季大会の開催地)とかロス(2028年夏季大会の開催地)とか、そんな言葉が既に飛び交っている日本人ボランティアのみなさんのエネルギーに脱帽するとともに、これだけボランティアを惹きつける国際大会の魅力について、私もますます興味がわいてきました。