世界104ヵ国・地域から1073人ものパラアスリートが参加した「KOBE 2024 世界パラ陸上」。2024年5月17日から25日の9日間にわたる世界最高峰の熱戦を、1,567人のボランティアが支えました。日本財団ボランティアセンター参与の二宮雅也さん(文教大学教授)が現地で活動するボランティアをインタビューし、無観客開催だった東京2020オリンピック・パラリンピック(東京2020大会)のレガシー、そして多岐にわたる相乗効果が見えてきました。
東京2020からKOBE 2024へ
「東京2020大会でボランティアをされていた人たちが、今回の世界パラ陸上を非常に楽しみにされていたことがわかりました」。日本財団ボランティアセンター参与の二宮雅也さんが、今回の取材を通して最初に感じたことです。
「本来は東京2020大会の延長線上に世界パラ陸上がありました。でも、コロナ禍の影響で2度も開催が延期となり、その分の“待った”エネルギーが今回の楽しい思い出に直結しているなと感じました。それは、東京2020大会で一緒にボランティア活動をした方々と神戸で再会したというエピソードが多く聞かれたことからも分かります」
二宮さんが最初に話をうかがったのは大学でスポーツを学ばれていた小﨑祐美子さん。パラスポーツ指導員の最上位資格を持ち、長らく車椅子バスケットボールのマネージャーもされていたそうです。
「パラスポーツにすごく興味があり、大学で勉強したり、アメリカに行って勉強したりしました。その集大成という思いで東京2020パラリンピックのボランティアに参加しましたが、あの大会で楽しさに目覚めてしまって…。
今回の世界パラ陸上には東京2020大会でボランティアを経験した方が多く、そこで身につけきたものや経験をここで発揮されていたような印象です」
池田貴弘さんは、この大会で最も印象に残ったことについて、選手との距離感をあげられました。
「今回は、大会前後を合わせて10日間滞在し、コールルーム(選手招集所)で活動をしました。
コールルームは、競技の直前ということもあり、集中している選手も多かったですが、中にはフレンドリーに話かけてくれる選手もいて、観客の声援が嬉しいという声をよく聞きました。東京2020大会の時もボランティア参加しましたが、あの時は無観客開催だったので、今回は選手と接することができ、とても充実した活動になりました」
二宮さんはボランティアの満足感を高めた要因について、
「有観客での開催という部分で、自分たちが大会を支える意義とか意味とかが見えやすかったのも満足感を高めた要因かもしれません。池田さんのお話にあったように、選手や観客との近さ、コミュニケーションが直接取れたことはモチベーションにつながっていたと思います」
今大会では、小﨑さん、池田さんのように障害のあるボランティアも活躍されていました。小﨑さんは、大会の印象について環境面もあげられました。
「活動初日、新神戸駅から地下鉄で神戸ユニバー記念競技場に向かう時、車両とホームの隙間や段差がなく、移動がスムーズにできることに驚きました。また、駅でエレベーターを探していると、すぐに声もかけてくれて優しい人も多く、環境が整う神戸の街に感激しました。
ただし、競技場とボランティア控室の距離が遠く、会場内の移動は少し大変だったので、こうした点を含めて改善してもらえると、より活動しやすいなと思いました」
仕事とボランティアの相乗効果
二宮氏が今回の取材で感じた2つ目のポイントは、仕事とボランティアをうまく両立されている方が多いことでした。
「会社のボランティア休暇制度を活用し、皆さんなりのライフスタイルを確立していらっしゃる方が多いなと感じました。ボランティアで元気をもらって、また仕事に向かっていくようなサイクルになっている。ボランティアと仕事の両立というよりは、2つが連続性を持って良い相乗効果をもたらしている印象です。
そういう意味ではボランティアは、スポーツの関係性に似ている部分があると思います。スポーツはユニホームを着てフィールドに入れば、選手としてのルールが適用される世界に入ります。日常の仕事を忘れて楽しみ、リフレッシュしてまた仕事に向かいます。ボランティアも同じです。ある意味では、スタッフTシャツがスポーツで言うところのユニホームの役割を果たしているのでしょう。
仕事とスポーツには良い相乗効果があるのは想像しやすいと思いますが、お話を聞いているとボランティアと仕事にも良い相乗効果があるということがわかります」
木田建二さんは10日間のボランティア休暇を活用し、今大会では8日間にわたってボランティア活動をしました。
「会社が困っている時は率先してお手伝いをしますし、逆にボランティアに行きたい時は前もって会社に伝えます。ですので、世界パラ陸上が終われば、来週からは会社が望む通りに私は働きます。お互いに協力関係ができているのかなと思います。
それにボランティアの経験が仕事に役立つこともよくあります。ボランティアの現場でよく顔を合わせる仲間もいますけれど、当然ながら初めて会う方もいます。年齢差もあれば、業種も異なる方々とお会いすることもあります。普段の仕事では、初めて会うお客様や取引先の担当者が変わった時などに、ボランティアで培ったコミュニケーション能力が役立つと感じます。
ボランティアを始めて人との付き合い方も上手になったと思いますし、ボランティアをやっていると会話のネタにも困りません。仕事の進め方でもボランティアで経験したノウハウを活かせることが多くあります。逆に普段の仕事での経験をボランティアの場で活かせることもあります。ウィン・ウィンの関係というか、相乗効果はすごくあると思います」
妙な形で仕事とボランティアがつながるケースもある。田宮久嗣さんは今大会の中で奇跡的な経験をしたと言います。
「普段は仕事でインバウンドのツアーガイドなどをすることがあります。今回の世界パラ陸上では、選手がバスで競技場へ来るのをアテンドしていたら車椅子のケニアの選手から“お前の顔を知っている”と言われました。何のことかわからずにポカンとしていたら、 “ほら先月会っただろ”と…よく話を聞いてみると、先月(4月)に仕事でアテンドしたグループの参加者でした。
長いことボランティアをやってきましたけどこんな経験は初めて。もし私が彼が乗り降りするバスの担当じゃなければ再会することもなかったわけですから奇跡に近いですよね。特殊な例だと思いますけれど、こういう楽しさもボランティアにはあるのかもしれません」
大事なことは多様性と好循環
パラスポーツ指導員の資格を持たれた小﨑さんや池田さんのように専門性を活かす方もいれば、田宮さんや木田さんのように仕事とボランティアが一つの線上にあるような方もおり、ボランティアへの関わり方はそれぞれで多様性に富んでいます。
二宮氏によれば「いろんな経験やスキルを持っている方が多い方が、ボランティアの環境としてはいい」そうです。
「もちろん専門性があるのは強みですし、安定感も生まれます。ある程度の経験を積めば専門性は身につく部分もあります。
それはそれで大事なことだと思いますけれども、それよりも大事なのことは初めて参加される方がまた参加したいなと思えるかどうかです。ある意味、専門性を持った方々は初めての方に安心感を与えたり、いい意味で刺激を与えたりすると思います。
それに触れたことで、初めての方が2回目、3回目と参加していくような循環ができていくのが理想的です。仕事とボランティアの関係性と同じくらい大切な相乗効果だと思います」
今回初めてボランティア休暇を会社からもらって参加された菊池未樹さんは、初めてボランティアに参加した東京マラソンでの経験が忘れられないそうです。
「初めてのボランティアはコロナ禍になる前の東京マラソンです。きっかけは家族で大会を観に行った時に給水エリアで選手にドリンクを配っている方々の姿を見たことでした。選手たちをサポートしていてかっこいいなと。後からドリンクを配っていたのがボランティアの方々だと知って、私もあの輪の中に入りたいと思いました。
翌年に1人で東京マラソンのボランティアに参加させていただきました。私は人見知りなので少し不安もありましたが、周りの方々に教えてもらいながらなんとか一日を楽しく終えることができました。
そして最後に“また会いましょう”と声をかけていただきました。同じ志で活動をやり遂げた方々と最後に笑顔で写真を撮ることができる、この環境って日常ではなかなかないと思いましたし、感動というか興奮のような感覚を覚えました。帰りながら、また来年も参加したいと思えたのを今でも覚えています。あの経験があるから今もボランティアを続けているのだと思います。
また、ボランティア活動をすることで職場でも変化がありました。ボランティア活動の現場では“あの人みたいにやってみよう”と思って実際に一歩を踏み出しています。今まで職場ではそういうことはなかったのですが、ボランティアをやるようになってからは職場でも“一度やってみよう”と思えるようになりました。
多様性という言葉を耳にするようになりましたが、頭では理解していてもなかなか体がついていかないこともあると思います。でも、ボランティア活動は行動に移さないとつまずいてしまいます。東京マラソンで最初の一歩を踏み出せたことは、私の人生の中でも大きな出来事だと思っています」
今回の世界パラ陸上には四肢に障害がある選手や視覚障害のあるスプリンター、知的障害のあるジャンパーなど多様性に富むアスリートが熱戦を繰り広げました。それに負けないくらい個性的なボランティアの方々が大会を支え、ボランティアの魅力を十分に堪能していました。
最後に二宮先生は大会の総括として
「今大会のボランティアは、これまでに蓄積してきた障害に関する知識や経験、専門性をこの大会で発揮しようというビジョンを持った方が多いなと感じました。
私は、東京2020大会の際に、ボランティアの研修プログラムやテキストの制作に携わり、「ダイバーシティ&インクルージョン」を重視した内容を目指しました。東京2020大会のボランティアを経験された方は、あの時に得た知識や経験だけではなく、大会後にご自身で障害について学んだ方もいらっしゃいます。また、ご自身が障害者である方は、ご自身の生活の中で感じたものがボランティア活動の手助けになっていたとも思います。
そうした、経験や専門性を活かせたことが、ボランティアの方々の活き活きとした表情にもつながっていたと思います」
増田明美会長も賛辞
世界パラ陸上の組織員会会長を務める増田明美さんは、今回の成功の核には、子どもたちの存在が欠かせなかったと話します。
「東京2020大会はコロナ禍だったので、子どもたちとの触れ合いができませんでした。でも、神戸ではそれを最大のテーマとしてできるだけ触れ合ってほしいということで企業の方々に寄付を募ってワンクラス制度というものを行いました。そのおかげで兵庫県内の小学校・中学校・高校・特別支援学校から3万人の子どもたちが神戸総合運動公園ユニバー記念競技場に足を運びました。
走幅跳(視覚障がいクラス)で銀メダルを取られた石山大輝さんは今回の大会の感想を聞かれて開口一番で“子どもたちの応援が一番よかった”と言われました。
それを支えてくださったのがボランティアの方々です。誰に尋ねてもボランティアの笑顔が良かったと言われましたし、親切だったという声も多かったです」
なかでも米国パラ陸上チームとボランティアのエピソードが印象に残っていると増田さんは振り返ります。
「米国選手団のヘッドコーチ、ジョアキン・クルスさんと大会中にお会いしました。彼は1984年ロサンゼルス五輪800メートルの金メダリストです。そして私が陸上留学したオレゴン大学で2年間同じチームメイトでした。
その彼が『アケーミ、神戸はエブリシング・イズ・OK』だと言うんです。
なかでもボランティアは親切で最高だと。ジョアキン・クルスさんは選手時代もそうですし、コーチとしても世界中を飛び回っている方です。その彼がこんなにコンフォタブル(快適)な大会はなかったと言っていました。私はそのことがすごくうれしかったです」
最後に増田さんから、大会の成功を支えたボランティアの皆さんへメッセージをいただきました。
「今大会でお会いしたボランティアの方々は私以上にパワフルでした。今大会に限らずボランティアの方々はいろんな大会で元気づけてくださっています。そういう方々のパワーに圧倒されました。人を喜ばせたい、人にありがとうと言われてうれしい、そういう積み重ねで自分が元気になっている方々にお会いし、私も元気になれました。
来年はデフリンピックに参加したいという声も聞かれました。その時、自分があまり手話をできないことに気付かされました。お会いしたボランティアの方々は手話をできる方も多くて刺激を受けました。人を喜ばせたいと思うと色々とやらないといけないことが出てくるものですね。ボランティアの皆さんに負けないくらい、私も頑張っていきたいと思います」