レポート&コラム

私たちは本当に「何もできない」のか。ウクライナ避難民の支援現場で見えたこと

2022年8月22日
グローバル
私たちは本当に「何もできない」のか。ウクライナ避難民の支援現場で見えたこと

日本財団ボランティアセンター(以下、日本財団ボラセン)では、日本財団と連携し、ウクライナから隣国へ退避した避難民を支援するため、 5月〜10月にかけて、 15名を1グループとして各2週間程度、 7回に分けて最大105人の日本人学生ボランティアをウクライナ隣国に派遣しています。

5月末から6月中旬に実施したGroup1は、ウクライナ国境に近いポーランド南部のプシェミシルという街で、「TESCO」という元ショッピングモールの建物を改装した避難民一時滞在施設にて主にボランティアを実施。2つのチームに分かれ、朝の8:00から夜20:00、夜の20:00から朝の8:00までと24時間体制でのサポートを行いました。

現地での学生たちの様子を、Group1に帯同したドキュメンタリー作家/ジャーナリストの小西遊馬さんにレポートしてもらいました。

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日本財団ボランティアセンター YouTubeチャンネルでは、小西遊馬さんが制作したドキュメンタリー『私たちは本当に「何もできない」のか。ウクライナ避難民の支援現場で見えたこと』を公開しています。

Group1 15人の学生たち

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5月31日、全国から集まった15人の学生が成田からポーランドへ飛び立った。

ある者は、医療システムの改革によってこの世界に貢献したい、ある者は、ロシア語を学んだ自分だからこそ、ある者は、看護学生だからこそ力になれるかもしれないと、それぞれの想いを持ってポーランドへ向かった。

ロシア上空は飛べないとのことで、いつもより長いフライトだった。飛行機の窓から外を見つめる一同の眼差しは、嫌にリアリスティックで、「自分には何もできないだろう」という確信を得ながらも、生きていくことの意義を見出そうともがく澄んだ目は、昼と夜の合間を飛ぶ飛行機から見た空と、同じ色をしていた。

2月24日にロシアによるウクライナへの侵攻が始まってから現在まで、1000万人以上の難民がウクライナからポーランドに避難している。通常の数的な感覚を持っている者なら、この数字を聞いたときに安易に「自分にできることがある」などとは思えない。それよりも前に絶望感と無力感が襲ってくるだけだ。まして一介の学生に何ができるというのか。それは彼らにとってだけでなく、この世界の法則でもあるかのように、誰にとっても全うな感覚なのかもしれない。

パリでのトランジットを経て、オーストリアで今回のプログラムで提携する現地NGOによるオリエンテーションなどを終えると、いよいよポーランドでTESCOでの活動が始まった。

施設内で避難民に配給されるものと同じ食事をもらい、毎日12時間動き続ける。決まった仕事などなく、自分にできることを現場で手探りで探し、滞在する避難民の数の確認からトイレの掃除、乳児の育児サポートや食事の提供など、ありとあらゆることで避難民の方々のためになれたらと願い、それぞれの役割を務めた。疲労困憊ではあるものの、考えることがありすぎたのか、ハイになった脳みそは彼らに熟睡を許さない。高緯度の地域特有の夜遅くまで降り注ぐ日光や、底の見えない避難民たちの瞳の残像も、彼らが落ち着くことを許さなかったのだろう。

避難民の若者たちと交流

学生の一人と話をしたときに、「自分になにができるのか、来た意味がまるでない」と話していた。今回の派遣事業でボランティアに来ることで、自分は何の助けになったのか?意味はあったのか?

この記事を書いている私自身は、3月12日にウクライナへ入り、2週間、包囲中の首都キーウで取材をしていた。爆撃によって殺された人々や、父親と別れてポーランド行きの列車に乗る家族、首都のキーウで最前線の兵隊のために毎日お弁当を作る市民の方々、一新された戦禍の日常を目の当たりにしてきた。

なぜ人々は、親からもらった大切なお気に入りの洋服を質に入れて、飯を買わなければいけないのか。なぜ、おばあちゃんが漬けてくれたピクルスを置いて、家を出ていかなければいけないのか。なぜ、ザリガニを釣っていた竿を、兵士たちに蹂躙され、なぜ、放課後に遊んでいた空き地が、兵士たちによるレイプの場にされなければいけないのか。

今でもよく覚えているのは、避難民施設で子供たちが描いた絵だ。そこには、日本の子供たちが描くような曲線的で優しい雰囲気は見当たらなかった。角が目立ち、直線的で、曲線的な優しさは抜け落ちて、使う色は単色化していた。そのうち、きれいな丸も描けなくなるのではないか、それほどに心的なストレスがすべての風景を変えていた。

ウクライナ避難民による街頭デモ / ポーランドクラクフ

「自分になにができるのか、来た意味がまるでない」

自分の力に悶々とし、自分たちが来た意味を確かめるために、毎日がむしゃらに働き続けていた学生たちは、果たして、この2週間でその問いを見つけることはできたのか。彼ら自身は、その答えをこれから見つけてゆくのだろう。ただ、少なくともその姿を隣で見ていた私は、「自分になにができるのか、来た意味がまるでない」という、その言葉を全力で否定したい気持ちだった。

先に述べたように、避難してきた人々は我々が想像を絶するような光景を見てきている。特に子供達には、下書きの記憶が少ない分、上書きされるこれらのグロテスクな世界の様相は、生きていくことの意志を奪いかねない。

我々も、大人になり辛いことや悲しいことがあった時、過去の美しい記憶を思い出して、生きることは素晴らしいことだと、明日を信じることができる。それがノスタルジーの一つの役割だ。しかし彼らのノスタルジーは、トラウマに挿げ替えられてしまうかもしれない。彼らのノスタルジーが真っ赤に染まり、恐怖と悲しみに満ちたものでしかなくなったとしたら、彼らはその腐ったノスタルジーを背負って、どのようにして世界を信じていくことができるのだろう。

ただ、もし砂漠のように荒涼とした記憶風景の真ん中に、ある日本人の優しい笑みが浮かんだとしたら、それは表現しがたいほど素晴らしいことだ。

言葉も通じない人間が、自分たちのために遠路はるばる足を運び、隣にいてくれたというその記憶が、現時点での彼らの問題を解決できなかったとしても、いつか明日を信じる優しい記憶になったのだとしたら、「自分になにができるのか、来た意味がまるでない」、その言葉をやはり私は否定したい。

夜中に、赤子のためにミルクを取りに来た母親の背中をさすったその手が、サッカーの後にふざけて水を掛け合ったその爽やかな感覚が、言葉は通じないけれど、絵を描きながら見つめあったその時間が無駄だったなんてことを、私はとても思えない。

避難民一時滞在施設「TESCO」で子供たちと遊ぶボランティア

誰かとの出会いや、見知らぬ誰かの小さな愛情が、忘れかけたときに誰かの「生きる」を突然軽やかにすることがある。大きな壁を壊すことは時に素晴らしく映るが、その大きな壁を壊した誰かに勇気を与えたことも、同じくらい素晴らしいことだと私は思っている。

暖かく天気のいい日に、我々はポーランドを後にした。帰りの飛行機では綺麗な朝日が一同を迎え、外を見つめる彼らの瞳も、前よりなんだか少しだけ、明るくなったような気がした。

ドキュメンタリー作家/ジャーナリスト 小西遊馬

<プロフィール>

1998年千葉県生まれ。Yahoo!やNHKでドキュメンタリーを制作、ジャーナリストとして記事やメディアへの出演なども積極的に行っている。デジタル世代のスマホサイズに合わせた表現やテンポ感などで、SDGsや社会課題の若年への発信を得意とし、これまでバングラディッシュの繊維工場や気候難民、売春や黒人差別、香港デモやウクライナでの戦争などを取材。

公式サイト Instagram Twitter

日本財団ボランティアセンター YouTubeチャンネルでは、小西遊馬さんが制作したドキュメンタリー『私たちは本当に「何もできない」のか。ウクライナ避難民の支援現場で見えたこと』を公開しています。

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