ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が開始されて1年となった2023年2月24日、ウクライナ避難民支援を行う団体を集めたカンファレンスが、オーストリアのウィーンで開かれました。
主催したのは、日本財団ボランティアセンターが日本から派遣した101名の学生ボランティアを受け入れ、ポーランドやオーストリアでのウクライナ避難民支援活動の場を提供した国際団体「The Social Work HUB」。カンファレンスには、日本財団ボランティアセンターも招待され、ウクライナ避難民支援活動に参加した5名の学生が参加しました。
本記事では、参加学生の一人である、米田遼馬さん(「The Volunteer Program for Ukraine」Group5参加)によるウィーンのウクライナ避難民支援施設の取材レポートを紹介します。
カンファレンス参加学生による、カンファレンスのレポートは、こちら▼
「“PEOPLE NEED PEOPLE”~ボランティアに共通する想い~|ウクライナ避難民支援 現地レポート vol.1」
以前の支援施設 アライバルセンター
オーストリア・ウィーンのボランティア団体「TRAIN OF HOPE」はウクライナへのロシアによる軍事侵攻が始まってから現在に至るまで、支援施設の運営を通して避難民支援を行っています。TRAIN OF HOPE代表のマニュエラ氏に、侵攻当初から現在への変化について聞くと「侵攻開始直後の混乱期から変化し、現在は長期避難を強いられ、定住期へとフェーズが変わってきており、ウクライナ避難民支援での優先事項が変化してきている」と語ってくれました。
以前にTRAIN OF HOPEが運営した支援施設はアライバルセンター(避難民一時滞在施設)と呼ばれ、ウクライナからウィーンへバスで移動してきた避難民が、避難先となるヨーロッパ各地へとバスで避難する際の中継地点として使用されていました。2022年9月~10月に派遣された「The Volunteer Program for Ukraine」Group5~7で派遣された私たち日本の大学生たちも、アライバルセンターで支援活動を行いました。
軍事侵攻が開始された当初は、着の身着のままで避難をしてくる人々が見知らぬ地で生きていくために必要な衣食住の確保が急務でした。そのため、公共施設である体育館が避難所として使われていました。
バス到着後、スムーズに避難民が必要なものを得られるように、朝昼夜と食事が無料で提供されるフードコートのような飲食エリア、寄付で集まった服が種類別に段ボールへ仕分けられた衣類エリア、寄付で集まった服が種類別に段ボールへ仕分けられた衣類エリア、ペット預かりエリア、緊急避難民の寝泊りにも対応できるよう簡易ベッドが置かれたエリアと、全てのエリアがパーテーションなどで区切られることなく配置されていました。仕方のないことですが、そこはプライバシーのない、ひらけた乱雑な空間となっていました。
その後、ロシアの軍事侵攻が長期化する中で新たに避難をしてくる人の数は減少し、アライバルセンターは2023年1月末をもって閉鎖されました。
避難民支援ニーズの変化
「長期的な避難を強いられている人々は、避難先での生活に慣れ始めてきている」とマニュエラ氏は語っていました。
住むところは確保でき、食べ物も生活に必要な衣類も世界各国からの支援もあり、困ることはなくなった避難民。彼らが生きるために必要な衣食住をクリアできた時、次に高まってきたニーズが、避難先の土地へ生活を根付かせるための職探しや学校探しでした。
仕事や学校を探すためには、現地の言語習得は当然必要となってきます。また、避難による不安や、母国を思う精神的ダメージを少しでも癒すように、避難先での生きがいともなりうる趣味の充実や、居心地の良いコミュニティづくりにも目が向けられるようになってきていました。ウクライナでの戦いはまだまだ終わる気配はなく、この先も避難の長期化が予想される中、避難民の人々はその準備を始めようとしていました。
新たな支援施設 コミュニティセンター
このような変化から、かつて「アライバルセンター」だったTRAIN OF HOPEが運営する支援施設は、場所をビルへと移動し「コミュニティーセンター」へと形を変えました。コミュニティセンターは4階建てで、1階のカフェフロアでは、コーヒーや甘い焼き菓子などを自由に楽しむことができます。観葉植物や座り心地の良いソファがあり、とてもリラックスできる空間です。キッズエリアも併設されており、子連れでも安心して利用できるようになっていました。
2階は、食事フロアで、ウィーン市内の給食センターなどから寄付で集まったものを、毎日、昼・夜それぞれ150~400食ほどを無料で提供しているそうです。
3階は、衣類フロアとなっており。寄付により集まった服が見やすく種類別にハンガーラックにかけられていました。
そして4階は、プログラムフロアです。ここではオーストリアの公用語であるドイツ語を習うことができ、また裁縫や絵画などの避難民個人の特技を生かし、避難民同士がインストラクターとなり多様なプログラムを展開しているそうです。
かつてのアライバルセンターとの大きな違いは、プログラムフロアができたことにより、オーストリアで生活するために必要なドイツ語を習うことができ、また趣味を持って避難先での生活を楽しむことができるようにとその他のレッスンも受けられるようになったということです。また、機能別に階を分けられたことで、避難民の人々のプライバシーが確保され、より安心で快適な環境になっています。
マニュエラ氏は、この先より長期的なロシア侵攻による戦いを見据えて、2024年になってもコミュニティセンターは運営できるように準備は整えてあると教えてくれました。
しかし、支援施設の運営は簡単なことではありません。寄付だけで賄えないものも多くあります。例えば、厳しいオーストリアの冬を乗り越えるために必要なジャケットは枯渇し、何度となく買い足したといいます。資金難は常にTRAIN OF HOPEに限らず様々な支援施設での課題となっています。
おわりに
現在、ウクライナ避難民は長期的な避難を強いられています。現地での避難⺠⽀援のニーズは、侵攻が始まった当初の“急を要する⾐⾷住の確保”から、仕事や学校にいくための⾔語習得サポートやコミュニティづくりのための場の充実などの“地域に馴染ませるための⽀援”へと変化しています。ウクライナでの戦いの⻑期化に伴い、避難民のニーズが変化しているからこそ、⽀援のあり⽅もその現状を的確に捉え、変化していく必要があります。しかし、避難先での新しい生活を前向きに切り開いていこうとする避難民の意識がある一方で、彼らが故郷を懐かしみ、避難をせざるを得ないこの残酷な現状に心を痛め続けていることも忘れてはいけないと改めて感じました。
一刻も早く、この戦いによって理不尽に悲しい思いをしている全ての人が、安心できる世の中が訪れるように願っています。
TEXT by 米田遼馬