レポート&コラム

ボランティア活動に障害はない?
「見えない」をバリアフリー化した仲間のサポートとは?

2021年10月9日
ダイバーシティ スポーツ
ボランティア活動に障害はない?<br>「見えない」をバリアフリー化した仲間のサポートとは?

多くのボランティアが参加した東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、「東京2020大会」)。その中で障害のある方もボランティアとして参加していたことは、まだまだ世の中にあまり知られていません。

この挑戦は過去のオリンピック・パラリンピックを見ても初めてで、東京2020大会のテーマでもある「ダイバーシティ&インクルージョン」を実現させるための大きな一歩となりました。

そこで今回、東京2020大会に大会ボランティア(Field Cast)で参加した4名の視覚障害者の方にインタビューさせていただき、活動内容やボランティア仲間との交流・仲間のサポートなどについてお話を伺いました。

「大きなプロジェクトの中の一人として関われること、みんなと協力して何かを成し遂げることの充実感がいい」

筑波大学理療科教員養成施設に在籍中の秋吉桃果さんは、以前からボランティア活動に熱心であり、東京2020大会を心待ちにしていた一人。今回、国立競技場の横にあるサブトラックで、10日間にわたり大会ボランティアとして活動を行ったそうです。

「選手たちが直前までウォーミングアップをしているトラックの周辺で、案内や選手村に行き来するバスのお見送りをしました。あとは選手にタオルや水を渡したり、選手が使うラウンジや飲食できるスペースのテーブルを拭いたりといった消毒活動をしていましたね。数人のグループを一つの班にしながら、活動と休憩のローテーションが組まれていたのですが、同じグループの人には自分に障害があることを伝えて、移動などで必要なときはサポートをしてもらいました」(秋吉さん)

行動を共にしたボランティアの方々のサポートがあったことにより、活動もスムーズだったとのこと。そして、ボランティアの方との交流もたくさんあったそうで、「みんなの優しさが人生の新しい財産」となったそうです。

「年齢や男女を問わずいろいろな方と出会えました。私、仲良くなった方とお別れするときに、『こちらからはまたお会いしても気付けないので、私のことに気付いたらよかったら声をかけてください』とみなさんにお伝えしたんです。そうしたところ、翌朝に待機場所にいると、『おはよう!桃ちゃん』と声をかけてくれたり、後ろからちょんちょんと突いてくれる方もいらっしゃいました。多くの仲間ができて、コミュニティができあがっていくのが楽しかったです。

活動後にモニュメントの前で写真を撮ろうということになって、写真のやりとりをするためにLINEを交換した人もいました。パラリンピックの閉会式をTVで見ながら、感想をLINEでやりとりしたり。最初のほうに連絡先を交換した人とは、ボランティアの活動内容の情報をやりとりしました。一緒に撮った写真をハガキに印刷して送ってくださった方もいて、すごくいい思い出になりましたね」(秋吉さん)

今回、多くの人と関わる中で実感した、視覚障害者であっても充実したボランティア活動ができるということ。その意義を改めて考える機会になったそうです。

「楽しんで活動に参加しつつも、一緒に活動する人に自分の障害をどう伝えたらいいのかを改めて考える機会をいただきました。視覚障害といっても人それぞれなので。『どんな風に見えているんですか?』と声をかけてくれる人に、見え方を説明して、人によって見え方に違いがあるというのを知ってもらうことが大切だなと。

何度もボランティア活動をしている人だと、白杖を持って歩いていると向こうから『何か手伝いましょうか?』と声をかけてくれる人もいるのですが、『大丈夫です、一人で行けます』とお断りすることもあって。人によってはお断りしてしまうと、今度また声をかける勇気がなくなってしまうのではないか? また声をかけてもらうためにはどうしたらいいだろう? 向こうにもいい気持ちになってもらえるようにするにはどうすればいいだろう? と考える機会になりました」(秋吉さん)

ボランティア中はとても楽しい日々だったため、大会後、現実に戻るのが嫌でちょっとロスになってしまったという秋吉さん。今後も継続してボランティアに参加していくそうです。現在は特別支援学校の教員になるために猛勉強中とのことで、教員になった暁には、今回のレガシーを生徒たちに伝えたいと語ってくれました。

「私は非日常が好きなんです。いろいろなコミュニティの人と関われたらいいなという想いがあって、ボランティアはまさにそういう機会の宝庫。いろいろな人と協力して役割や活動をするということと、大きなプロジェクトの中の一人として関われることの楽しさや、いろいろな人と協力して何かを成し遂げることの充実感がいいんです。これからも、多様な人との出会いで自分が成長できることを伝えていきたいなと思います」(秋吉さん)

「みんな大会にすごくポジティブに取り組んでいて、そこから私もイメージが変わりました」

松村めぐみさんは、以前にゴールボールをやっていて、パラスポーツに興味があったことから大会ボランティアに応募したそうです。

「今回、幕張メッセで行われたゴールボールでのボランティアで、レフェリーの控室の消毒・掃除の担当でした。私が視覚障害者だということは周りの方にも情報が伝わっていたので、基本的に移動や休憩のときも誰かが一緒についてちゃんとサポートしてくれました。

ボランティア同士の交流はもちろん、エジプト人やオーストラリア人など、海外のレフェリーの皆さんとの交流もあって楽しかったです。3日間だけの活動だったのであっという間でしたね」(松村さん)

最初は軽い気持ちでボランティアに参加してみようと思っていた松村さん。しかし東京2020大会への印象が変わる出来事があり、ポジティブな気持ちで関わろうと思ったそうです。

「ボランティアのユニフォームを受取場所へ取りに行ったときに、そこでサポートしてくれるスタッフやボランティアの方たちが、すごく明るく挨拶のやりとりをしていたんです。そのころ、メディアでは、東京2020大会を開催するべきかどうか議論がありましたけれど、実際に関わっている方たちは、みんなすごくポジティブに取り組んでいるんだなと思ったんです。そこから東京2020大会へのイメージがすごく変わりましたね」(松村さん)

3日間のボランティア活動はいろいろな人との交流が楽しかったそうで、また機会があれば参加してみたいとのことでした。

「やはり他のボランティアの方たちと接するのが楽しかったですね。以前にボランティア参加したパラ駅伝とかもそうですけど、大会自体が楽しい。競技のレフェリーの部屋に入ったりといった、貴重なことを体験できたのもよかったです」(松村さん)

「視覚障害者から積極的にコミュニケーションをとっていくこと、これが実は一番、共生社会の推進に有効なんじゃないかな」

筑波大学附属視覚特別支援学校 鍼灸手技療法科 教諭の工藤滋さん(写真中央)は、水泳競技が行われた東京アクアティクスセンターで、大会ボランティアに参加しました。

「活動内容は三つありまして、1つめは、“”Be quiet, please(静かにしてください)”と書かれたボードを持つボランティアです。水泳競技の会場はダンスミュージックが大きな音で流れているのですが、スタートが近づくとBGMが止んで、ホイッスルが鳴り、位置について、となります。視覚障害のある選手もいるので、ホイッスルが鳴った後にまわりで物音や大きな声がすると、大事な音が聞こえなかったり、集中力をかいたりするのでBGMが止んだら、そのボードを頭の上に掲げるという役割でした。2つめは座席や手すりの消毒作業。3つめは競技が終わって、選手村に帰る選手たちのお見送りでした」(工藤さん)

活動中は、一緒に行動していたボランティアの方からのサポートもあり、視覚障害者のサポートが初めての人も多かったそうですが、みなさんとても親切で心強かったと語ってくれました。

「ボードを上げるのはスタートのときだけで、選手が水の中に飛び込んだ後は業務がなくなるのですが、そのときにグループの方が競技の様子を実況中継してくれたのが面白かったですね。移動に関しても、初日以外は視覚障害者を誘導するのが初めてという人たちばかりだったんですけど、みなさんすぐに慣れて適切に対応していただき、とても助かりました」(工藤さん)

工藤さんのボランティア活動への想いには、ボランティアを通して視覚障害者のイメージを変えたいという信念があります。その熱い想いに引き寄せられたボランティアの方と、思いがけない相乗効果も生み出されたようです。

「私がボランティアに参加した目的はいくつかあって、まず、世界の人たちに日本では視覚障害者がボランティア活動をしていることを知ってほしいということ。ボランティアをするにもやはり職業自立をしていないと余裕がない。日本の視覚障害者には、鍼やマッサージの仕事ががあるおかげで、ボランティア活動までやっているんだと、世界の人に伝えたいなと思ったんです。

それから、活動中に出会ったみなさんに「私は盲学校で鍼とマッサージを教える職業課程の教員をやっています。盲学校に行けば職業教育を受けられるということを、知り合いに教えてあげてください」と伝えていたんですね。

そんな草の根活動的なことをしていたら、活動最後の日に、僕のまわりにボランティアの方々が集まってきてくれたんです。

『工藤さんのことはみんな知っていますよ』と、以前にたまたま僕のことをガイドしたことがある方も周りに来て挨拶をしてくれました。すごくあたたかい気持ちになりましたね。終わった後にみんなで写真撮影したのですが、その写真をメールで送ってくださった時に、文面に『工藤さんと活動して、普段ではなかなかできない、すごくいい体験をさせていただきました。本当に充実した体験になりました。どうもありがとうございました』と書かれていたんです。それがすごく嬉しくて。僕のほうが見えないところをサポートしてもらう形で活動していたのですが、一緒に活動してくれた方が何かを受け取ってくれていて。こういうことが本当の共生社会なのかなと、終わってからすごく感じましたね」(工藤さん)

充実感のあったボランティア活動で、最終日には終わってしまうことに寂しささえ感じたという工藤さん。支援学校で教えている生徒たちをはじめ、多くの方に今回の貴重な体験を伝えていきたいと改めて決意を語ってくれました。

「視覚障害者と初めて出会う方は、何を話したらいいんだろう、どういう風に接したらいいんだろう、何か言ってはいけないことがあるんじゃないかなど、分からないことも多いと思うんです。でも僕と少し話をしてもらえれば分かると思いますが、ただ見えないだけなんですよ。それ以外は健常者の方と一緒なんです。だから視覚障害者のほうがどんどん外に出て行き、いろいろな人に会って、いろいろな話をしたり、友達になったりするのが一番、共生社会の推進に有効だと思います。僕なんかボランティア後半になると一人でも多くの人と話そうというモードになっていました(笑)。誰かにそういう話をするだけでも理解に繋がると伝えていきたいですね」(工藤さん)

 「まずは何でも挑戦してみる。トライアンドエラーを繰り返すことが、成長につながると思う」

静岡県の特別支援学校で教師をしている村松芳容さん(写真左)は、伊豆ベロドローム、富士スピードウェイと場所を変え、2週間に亘り大会ボランティア活動に参加しました。ただ、1週目、2週目によってまったく活動の充実度が違ったそうです。

「ボランティアをやる上でサポートしてくれる人の重要性を感じました。1週目の伊豆ベロドロームでの活動は、他のボランティアの方々が、障害者と初めて接する方がほとんどで、『こういうことならできて、こういうことはできないよ』と口頭で伝えても、なかなかまわりに理解してもらえないという状況でした。1から9までやってもらって、10だけ私がやるという形で、自分がボランティアをやっているというよりも、まわりに迷惑をかけてしまっているという気持ちのほうが強くなってしまって。

表彰式担当にはブーケベアラー、メダルベアラー、プレゼンターのエスコート、アスリートのエスコートの4つの役割があったんですけど、ブーケベアラーしかやらせてもらえず、このままだと自分がボランティアとして参加している意味があるのかなと思ってしまって……自分のできなさに劣等感を感じてしまった1週目でした」(村松さん)

このままでは2週目の富士スピードウェイでも同じようなことになってしまう。そこでボラサポにも相談し、そのサポートによって、ボランティア活動の幅が劇的に変わったと語ります。

「富士スピードウェイにはボラサポスタッフの方もボランティアで入っていて、その方が私をサポートしている様子を見て、障害者のサポートが初めてだった方も、『こういう風にサポートすればいいんだ』と分かってくれたんです。そのおかげもあってこちらの会場では4つの役割全てをこなすことができ、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の橋本聖子さんのエスコートや、国際パラリンピック委員会のアンドリュー・パーソンズ会長と握手や話をしたり、最終日には日本人の金メダリストである杉浦佳子さんのエスコートをさせていただく経験もできました。富士スピードウェイでの活動は、充実感や達成感がありました。

2週間を通して、すごく悔しい思いもしましたが、自分が健常者のボランティアに混じって活動する際は、人によって理解のレベルが違う、みんなに理解してもらうためにはどのようなアクションを起こすべきか、、というのが分かりました。そういった部分をクリアにしていかないと、共生社会は進んでいかないんだなということを強く感じた経験でした」(村松さん)

2週目からの仲間のサポートによってボランティア活動が充実した経緯から、サポートであると助かること、また自身が困ったことなども語ってくれました。

「一番あって助かったのは、まわりの環境の説明ですね。『今から入る部屋は左側にありますよ』とか、『そこからこんな景色が見えていますよ』とか。通常は健常者が目で認識するだけで終わってしまう周りの状況・状態を、口に出して説明してくれたのが助かりましたね。そういった情報保障があれば、視覚障害者にとっては、自分の活動の見通しを持つことができるんです。

逆に困ったことは、あれ、それ、ここ、あそこ、といった指示語がものすごく多用されていたこと。ホワイトボードに表彰式の情報や配置図が書かれていたのですが、みなさん「ここからここに行けばいいよね」と話していて。僕は『ここからここって、果たしてどこなの?』となってしまって。コミュニケーションが、こそあど言葉ばかりだと、何のことかわからないので、その場所にいるだけで辛くなってしまう。最初に視覚障害があることを伝えるときに、指示語も分からないですよと言っておけばよかったなと実感しました」(村松さん)

1週目はなかなか周りの理解が得られず苦労したという村松さんですが、エネルギッシュにボランティアの楽しさを伝え、アクションを起こすことによって新たな発見や充実感を得られる、ということも教えてくれました。

「何でもまずは挑戦してみることが大事だなと。自分の体験を通して、まわりに示すことができるし、失敗してもそれはいい経験になる。トライアンドエラーを繰り返すことが、成長には大事なことなんだと思います。視覚障害は外見ではっきりと分かる障害ではないので、何ができて、何ができないかを、相手にちゃんと伝えることができるようにしておくことが必要です。チャンスを逃さないように、常に自身のアンテナを高くしておくといいと思いました」(村松さん)

今回、みなさんのお話を聞いて感じたのは、サポートがあれば障害のある方もボランティアに参加でき、充実感を持って活動できるということ。健常者と障害者がお互いのことを少しでも分かり合おうとする気持ちを持ち、一緒に活動することによって、お互いに得るものも多いのです。共生社会、ダイバーシティ&インクルージョンの実現のためにも、今後はますます、誰もが参加できるボランティアのカタチに注目が高まりそうですね。

text by Jun Nakazawa
photo by Haruo Wanibe, Hisahi Okamoto, Takashi Okui

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